2006年01月16日

『雪の街にて』 連載第五回

「旗を取り出してから、買ってきたお茶をそれに供えて線香をあげました。そうして手を合わせた時、何だかわからないけど、思わず『お疲れ様でした』っていってたんです。そんなこというつもりは、それまで全然なかったのに。勝手に口から出たっていうか……。その後も、しばらくそのままぼうっとしてました。部屋の明かりもテレビもつけないで、ただ呆然と。ちょうどその部屋の窓から早池峰山の方が見えて、雪雲の取れた山の向こうに夕日が暮れていくのをぼんやり見てました」
 私はその景色を思い描きながら、ふとある言葉が浮かんだ。
「まるで西方浄土みたいだね、それ。実際、宮古には浄土ヶ浜があるけど」
「西方浄土、ですか。そういわれれば、そんな感じも……」
「故郷にたどり着いて、そこからやっと浄土へ旅立てたんだ。そんな気がする……。いい供養になったと思うよ」
「本当におかげ様で……。身内の供養は身内にしかできませんからね。確かに靖国に行けばそこに大叔父が祀られてますけど、それは何ていうか、国家的な供養だと思うんです。それはもう済んでるから、私は身内の供養がしたかった。だから、自分から旗を引き取りに行って、宮古へ持ち帰りたかったんです。身内として供養するために。六十年間も、それができなかったんですから……」
「その後、銀行の支店に行ったんですよね。宮古で訪ねたのは、それだけ?」
「いえ。ただ、元日はもう着いたのが夕方だったんで、その日はどこにも。で、次の日に本家筋にあたる親類の家と、亡くなった西条さんのご実家を訪ねました」
「確かご本家の家から出征されたんでしたね、大叔父のかたは。飛行機の中で、そう聞いた記憶がある」
「ええ。大叔父の生家はもうなくなってしまいましたが、出征した時の本家はまだ残ってます。だから、必ず本家の家には訪ねたいと思ってました。二日の午前中に行ったんですが、祖父の代を知る本家の叔父に旗を見せながら、それまでのいきさつを話しました。いつもは割と口数の多い人なんですが、私の話を聞くと溜息をついたまま俯いて、しばらく押し黙ってしまって。やはり、感ずるものがあったんだと思います。二人して、そうして黙って向き合ってました」
 彼の話を聞きながら、私はその場面を思い浮かべた。血の通った者同士にしかわからない寂しさや情愛が、じんわりと伝わってくるようだった。
「それから祖母のいる老人養護施設を叔父と一緒に車で訪ね、本家で昼飯をご馳走になってから西条さんのご実家に伺いました。今はご実家には弟さん御夫婦が住んでらして、洋服の仕立屋をそこで営んでるんです。亡くなられた西条さんのご位牌も今はその家にあって、それが置かれた仏壇に手を合わせて旗の帰郷を報告しました。本当はそういう形じゃなくて、ご健在のうちに報告したかったんですが、間に合わなかった……」
 一瞬、彼は唇を噛んだまま俯いた。
「あなたの報告は、ちゃんと届いてるはずだ。きっと喜ばれたと思う」
「ありがとうございます。私も、そう信じてます」
 彼は顔を上げながらいい、話を続けた。
「その後、弟さんに詳しいいきさつをお話しました。実は私が、西条さんが亡くなったのを知ったのは葬儀の後、弟さんから葉書をいただいたからなんです。兄は亡くなりました、と。その葉書を読んですぐに電話して、お悔やみを伝えながら生前にあったことを話しました」
「この旗のことを?」
「ええ。そういうことがあってお兄様には大変お世話になったと、その時に電話で話しました。だから、旗が還ってきたことを弟さんも喜んでくれました……。その時に旗を弟さんにもお見せしたんですが、やっぱりプロなんですね。見るところが少し違ってました」
「ん?」
「旗の隅に小さな皮製の部分があって、そこに紐が縫い付けられてるんです。その紐を見て、『ああ、これはかなり上等な生地だ』と。私も最初どういうことかわからなかったんですが、よく紐を見てわかりました。さっきご覧になったように、旗の布地はあちこち破れかけてますけど、その紐だけはまったく痛んでないし、色もあまり褪せてないんです。『六十年も経過して、こんなにいい状態なのは上質な生地の証だ』と。旗の布地にしても、それだけの長い年月だともっと変色しててもおかしくないのに、まだこんなに白さが残ってる。確かに痛んで破れたところもあるけど、これもそう悪くない布地だろう、と」
「なるほど。いわれてみれば、そうだ」
「それに旗を作ったのが、物資がそんなに充分じゃなかった戦時中だったことを考えると、この生地はかなり無理して調達したんじゃないか、ともおっしゃてました。秋に手紙でお送りした新聞記事の中で、『旗は上質な絹でできていて、当時は調達が難しかったはず。会社は無理をして用意したのでは』という私のコメントが載りましたけど、実はあれ、西条さんの弟さんの話をそのまましただけなんですよ。まるで私が判断したみたいに書いてありましたけどね……」
 彼は苦笑した。
posted by Yasuhiko Kambe at 14:52| 雪の街にて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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