2005年12月01日

『シドニーより』 連載第一回

 その日、帰宅すると一通のエアメールが届いていた。日本からである。封筒を裏返し差出人を確かめると、「戸上恭博」とあった。以前日本へのフライトの時に、ちょっとしたきっかけで知り合った青年だ。
 妻はまだ、勤め先の法律事務所から帰っていなかった。居間のソファーに座り、リモコンでTVをつける。まもなく夕方のニュースが始まる時間だ。チャンネルを合わせ、その後エアメールの封を開けた。中には、パソコンで書かれた手紙と日本のある地方紙のコピーが折りたたまれて入っていた。
 その手紙には私が送った手紙への礼と、私と別れてから現在までの近況などが綴られていた。しばらく読み進み、気がつくとニュースはとうに始まっていた。居間の窓際に置かれたTVの左手には庭とも雑木林ともいえない木立ちが窓一面に広がり、雨上がりの薄暮の中で春風にそよいでいた。ある大学の日本語学科の講師として暮らしている、ここシドニーでは十月の今、この時分が日没だ。
 ニュースはイラクでの爆弾テロを報じていた。炎と黒煙を吹き上げる車、逃げ惑う人々。物々しい装甲車に乗って巡回する兵士が、銃を手に画面を横切った。一体、いつまでこの混乱は続くのだろうか。そして、あの兵士はどこの国から来たのだろう。アメリカかオーストラリアか、それとも他の国か。つい三、四日前、オーストラリアの部隊が派兵以来初めて銃撃を受け、マスメディアで大きく報道された。幸い負傷者はなかったが、日本でも報じられたという。自衛隊が平和憲法に則り丸腰で復興にあたっているサマワで、現在英軍と一緒に治安の維持を担当しているのはオーストラリア軍だ。
 と、TVの画面が変わり、自衛隊の指揮官とオーストラリア軍の副司令官が、日の丸と豪州国旗をそれぞれ掲げた二台の装甲車の前で握手を交わしている映像が写し出された。資料映像というやつだ。この手紙の送り主の彼も、日本で同じ映像を見ただろうか。その時、どんな想いで――私は読みかけのエアメールを手にしたまま一瞬、心をめぐらせた。
 手紙に同封されていた地方紙のコピーには、ある写真入りの記事が掲載されていた。その写真にはかすれた寄せ書きのある古い日の丸を手にした彼と、戦死した旗の持ち主の遠い後輩にあたる銀行員が写っている。記事の見出しには、「戦後六十年、豪から里帰り―遺品の日章旗返還、『平和を訴える形見に』と遺族」とあった。写真の中の日章旗を里帰りさせた遺族とは、彼本人のことである。
 TVから手紙へ、再び目を転じ読み進んだ。手紙の最後の方には、『みまかれた人の魂のために』と題された彼の自作の詩が添えられていた。

  芽吹いたばかりの 木立ちの上を
  流れてゆくのは 春の雲たち
  過ぎてゆくのは 冬の光と
  影と いくつもの想い出

  みまかれた人の 魂のような
  透きとおった そよ風が
  やがて訪れる 季節の彼方へと
  静かに 吹き抜けている

  《積み重なった苦しみも ゆっくりと
   消えてゆくことが あるはず
   たとえ 離れていても――》

  忘れ得ぬ 遥かな悲しみに
  ほのかな温もりを 感じ始めた
  浅い春の 夕暮れの中で……

「みまかれた人」とは、戦死した者たちを指しているのであろう。静かな悲しみの底で仄かに光るような明るさを湛えたその詩篇を読み終えると、私は彼との出会いと、その時彼が語ってくれた日章旗の話を想い出していた。苦しみの時と悲しみの海を越えて、その「忘れもの」がたどった長い道のりを、私はここに書きとどめておこうと思う。彼いわく「ヒーローもスーパーマンも出てこない」、だが奇跡のような物語を――。
posted by Yasuhiko Kambe at 22:27| シドニーより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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