2006年01月19日

『雪の街にて』 連載第八回

親愛なる恭博へ

私の体への気づかい、大変ありがとう。
体の方はまだ百パーセント快復したわけではありませんが、メールをくれたことに感謝しています。ちょうど二、三日したらネヴィルが家に来る予定なので、彼にもこのメールを読ませます。

旗の返還の時にあなたがくれた桜の木でできたコーヒートレーは、とてもありがたくて実は使っていません。あなたからの特別なプレゼントとして、大切にしています。そして、家に来た人がそれを見る度、桜の花の意味や親友であるあなたとのことについて話をしています。

あなたからメールをもらう度に、共に喜びを分かち合えていることを、いつも感じています。

チャールズ・ホワイト

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

「体の具合が悪かったのかい? ミスター・ホワイトは」
 私はメールの書き出しの部分が気になり、彼に尋ねた。
「ええ。でも今は大丈夫です。確か一昨年の年末頃でしたが、軽い肺炎にかかられて数日間だけ入院してたのを、後からもらったメールで知ったんです。退院後も当分自宅で静養するよう医者からいわれた、と。それを知ってからメールの度に体の具合を尋ねてたので、このメールの初めの部分はその返事です。でも、その後は無事に快復されて、今は元通り健康になったと聞いてます」
「それはよかった……。この文中の『ネヴィル』っていうのは、ミスター・ホワイトのことかな」
「そうだと思います」
「その次に君が贈った桜の木のコーヒートレーのことが書いてあるけど、何ていうか……。ありがたくて、もったいないから使えない。だから飾ってる、なんて……。本当にいい贈り物をしたんだね。ずっと大切にしてくれるはずだ。これからも見る度に思い出すんだろうな。この旗のことや、旗の返還までにあったいろんなことを……」
 彼は無言のまま頷いた。私はそのメールが印刷された紙を、そっと彼に返した。
 喫茶店の窓の外を見ると小雪は止み、傾き始めた日の光が冬の街を穏やかに包んでいた。
「雪も止んだみたいだ。そろそろ行ってみようか、父の墓に」
 と私はいった。
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2006年01月18日

『雪の街にて』 連載第七回

 店の時計が三時の鐘を打ち、物静かな店内に響いた。その余韻が消えてから、私は彼にいった。
「そういえば一昨年に飛行機の中で話した時、メールをやりとりしてるって、いってましたね。シドニーの退役軍人のかたと」
「ええ。ホワイトさんと」
「今でもやりとりを続けてるんですか? 旗を返してもらった後も」
「続けてます。といっても、そんなに頻繁じゃないですが……。あ。ついでに今のうち、もう一つだけお願いしてもいいですか?」
「何だろう、今度は」
 私は苦笑しながら尋ねた。彼は椅子の足元に置いていたバッグを取り上げて、中から書類の入ったクリアファイルを取り出した。
「そのメールなんですけどね、ちょっとわからないのがあって。確かこのファイルの中に、プリントした紙があるはずで……」
 といいながら、彼はファイルの中の書類をまるごと抜き出し、テーブルに置いて紙面をめくり始めた。その書類は、オーストラリアから送られた英文のメールやエアメールの手紙の数々だった。
「へえ、きちんととってるんだね。これ全部、シドニーからの?」
「ええ」
「そのメールが見つかるまで、他のをちょっと読んでも構わないかい。それとも、まずいかな」
 彼は手を止めて答えた。
「うーん、構わないでしょう。三田さんも、この旗の関係者なわけだし。いいですよ」
 私は彼がめくり終えた書類の中に、クリップで留められた水色の封筒と短い手紙があるのを見つけた。それを何気なく手にとり、英文でタイピングされた手紙の文面を読んでみた。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

親愛なる恭博へ

 手紙、どうもありがとう。あの旗が然るべき所有者に返されてから、ちょうど一年になるのを思い出しました。
 私は、あの旗の返還が実現するまでに起きた様々な障害や体験を、これからも忘れることはないでしょう。しかし、古くから伝わるいい諺があります。それは、「終わり良ければ全て良し」です。
 あなたが良いクリスマスと新年を迎えられるよう、お祈りいたします。

                               ネヴィル・キャリー

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 手紙の最後には、差出人のサインが直筆でしたためられていた。
「これはミスター・キャリーからの手紙? 最初に旗を返そうと思った退役軍人の」
 彼は私が手にしている手紙を見て答えた。
「そうです。キャリーさんからのです。去年の秋、返還されて丸一年になったんで、改めて御礼の手紙を出したんです。キャリーさんはメールアドレスがないかたなので。その手紙は、その返事です」
「そうか。君もなかなか律儀だね。この返事の手紙も、短いけど気持ちが込もってる」
 彼は少し照れたように笑った後、紙面をめくる手を止めていった。
「ああ、見つかりました。これです。去年の春頃にもらった、ホワイトさんからのメールなんですけどね。済みませんが、ちょっと訳してもらえませんか。ネイティブな言い回しとかがあって、意味がよくわからない部分があって……」
 彼はそのメールが印刷された紙を私へ手渡した。私はそれを一旦最後まで目を通した後、彼に訳文を伝えた。
posted by Yasuhiko Kambe at 13:47| 雪の街にて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月17日

『雪の街にて』 連載第六回

 ウエイターが来て、私と彼のグラスに水を注ぎ足した。
「それで次の日になって、うちの墓参りへ行こうと思いました。祖父も含めて先祖の墓前に報告しなければと思って。墓までは普通だと歩いても、十五分くらいで行ける距離なんです。でも、その日、空は晴れてたんですが、まだ雪がたっぷり残ってて。午後になれば少し解けるかと思って、昼過ぎになって行ってみたんですが、駄目でしたね。街の外れの山の麓に菩提寺があって、そこから少し山道を登った所に墓があるんですが、寺まで行くのがやっとで、とても墓まで登れそうになかった。寺までの道も墓への山道も雪だらけで、おまけに凍ったままの所もあって普段みたいには歩けない。仕方なくその日は墓参りをあきらめて、寺の本堂でお参りしました。正月三日目の午後の寺はなぜか初詣の人もいなくて、静かでした。弱い日差しが本堂の畳に差し込んでいて、境内の竹林の影が風に揺れてました。誰もいないがらんとした本堂でこの風呂敷包みから旗を取り出して、寺のご本尊に向かって報告しました」
「それで去年の正月に帰郷した時には、墓参りしなかったんだね。そんなに大雪が残ってたら無理もない。できない訳だ」
「その次の日の四日に改めて行こうかとも思ったんですが、ちょうど仕事始めでしょう。どうしても銀行の支店はその日に訪ねたいと思ってたんで、墓参りにはどうしても行けなかった。で、銀行に行った時の話は……。まあ、手紙で送ったあの記事のとおりです」
 彼は再び苦笑しながら、いった。
「日本に還ってきてから三ヶ月かかって宮古へ帰郷して、菩提寺の本堂までたどり着いた後、七ヶ月半かかって去年の旧盆にやっと墓参りを果たしたって訳だ。本当に長かったんだね」
「ええ、まあ……。確かに寺の本堂から墓まで行くだけで、七ヶ月半もかかってますけどね」
 と彼がいい、私たちは笑った。
「そういえば、お盆に墓参りした時もまったく同じことを自分でいったんですよ」
「同じこと?」
「正月に帰郷した時と同じことを、墓前で。お疲れ様でした、って」
「ああ……」
「その時もそれまで何も考えてなかったのに、線香を墓にあげて手を合わせたら、自然に口から出てきたんです。何だか不思議で……。そうだ。実はちょっと、お願いがあるんですが」
 私は口へ運ぼうとしていたコーヒーカップを途中で止めた。
「お願い? 何だろう」
「今日、もし都合がよかったらでいいんですが、三田さんの父上の墓前にも報告したいと思ってきたんです。どうでしょうか?」
 思わぬ申し出だった。
「今日、これからかい? 私の都合は構わないけど。今、何時だろう」
 店の壁にかかった柱時計を見ると、針は三時を指そうとしていた。
「まだ三時か。いや、構わないよ。墓はこの近くの寺にあるんだ。ここから歩くと十五分くらいかな。でも、何だか済まないね。わざわざ来ていただいた上に、墓参りまでしてもらうなんて。父も喜ぶと思う」
「縁ですよ、これも。何かの縁……」
 彼の言葉を聞きながら、私は店の窓から外を見た。ここへ来た時は風花が少し舞う程度だったのに、いつのまにか小雪が散らついている。しかし、雲の切れ間のどこからか冬の午後の陽光が差し込み、長めの影を街並みに落としていた。
「ちょっと降ってるね。来た時は大丈夫だったのに。でも、日が差してきてるから、すぐ止むかも知れない。もう少しだけ待ってみて、行きましょう」
 私の提案に彼も頷いた。
posted by Yasuhiko Kambe at 13:24| 雪の街にて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月16日

『雪の街にて』 連載第五回

「旗を取り出してから、買ってきたお茶をそれに供えて線香をあげました。そうして手を合わせた時、何だかわからないけど、思わず『お疲れ様でした』っていってたんです。そんなこというつもりは、それまで全然なかったのに。勝手に口から出たっていうか……。その後も、しばらくそのままぼうっとしてました。部屋の明かりもテレビもつけないで、ただ呆然と。ちょうどその部屋の窓から早池峰山の方が見えて、雪雲の取れた山の向こうに夕日が暮れていくのをぼんやり見てました」
 私はその景色を思い描きながら、ふとある言葉が浮かんだ。
「まるで西方浄土みたいだね、それ。実際、宮古には浄土ヶ浜があるけど」
「西方浄土、ですか。そういわれれば、そんな感じも……」
「故郷にたどり着いて、そこからやっと浄土へ旅立てたんだ。そんな気がする……。いい供養になったと思うよ」
「本当におかげ様で……。身内の供養は身内にしかできませんからね。確かに靖国に行けばそこに大叔父が祀られてますけど、それは何ていうか、国家的な供養だと思うんです。それはもう済んでるから、私は身内の供養がしたかった。だから、自分から旗を引き取りに行って、宮古へ持ち帰りたかったんです。身内として供養するために。六十年間も、それができなかったんですから……」
「その後、銀行の支店に行ったんですよね。宮古で訪ねたのは、それだけ?」
「いえ。ただ、元日はもう着いたのが夕方だったんで、その日はどこにも。で、次の日に本家筋にあたる親類の家と、亡くなった西条さんのご実家を訪ねました」
「確かご本家の家から出征されたんでしたね、大叔父のかたは。飛行機の中で、そう聞いた記憶がある」
「ええ。大叔父の生家はもうなくなってしまいましたが、出征した時の本家はまだ残ってます。だから、必ず本家の家には訪ねたいと思ってました。二日の午前中に行ったんですが、祖父の代を知る本家の叔父に旗を見せながら、それまでのいきさつを話しました。いつもは割と口数の多い人なんですが、私の話を聞くと溜息をついたまま俯いて、しばらく押し黙ってしまって。やはり、感ずるものがあったんだと思います。二人して、そうして黙って向き合ってました」
 彼の話を聞きながら、私はその場面を思い浮かべた。血の通った者同士にしかわからない寂しさや情愛が、じんわりと伝わってくるようだった。
「それから祖母のいる老人養護施設を叔父と一緒に車で訪ね、本家で昼飯をご馳走になってから西条さんのご実家に伺いました。今はご実家には弟さん御夫婦が住んでらして、洋服の仕立屋をそこで営んでるんです。亡くなられた西条さんのご位牌も今はその家にあって、それが置かれた仏壇に手を合わせて旗の帰郷を報告しました。本当はそういう形じゃなくて、ご健在のうちに報告したかったんですが、間に合わなかった……」
 一瞬、彼は唇を噛んだまま俯いた。
「あなたの報告は、ちゃんと届いてるはずだ。きっと喜ばれたと思う」
「ありがとうございます。私も、そう信じてます」
 彼は顔を上げながらいい、話を続けた。
「その後、弟さんに詳しいいきさつをお話しました。実は私が、西条さんが亡くなったのを知ったのは葬儀の後、弟さんから葉書をいただいたからなんです。兄は亡くなりました、と。その葉書を読んですぐに電話して、お悔やみを伝えながら生前にあったことを話しました」
「この旗のことを?」
「ええ。そういうことがあってお兄様には大変お世話になったと、その時に電話で話しました。だから、旗が還ってきたことを弟さんも喜んでくれました……。その時に旗を弟さんにもお見せしたんですが、やっぱりプロなんですね。見るところが少し違ってました」
「ん?」
「旗の隅に小さな皮製の部分があって、そこに紐が縫い付けられてるんです。その紐を見て、『ああ、これはかなり上等な生地だ』と。私も最初どういうことかわからなかったんですが、よく紐を見てわかりました。さっきご覧になったように、旗の布地はあちこち破れかけてますけど、その紐だけはまったく痛んでないし、色もあまり褪せてないんです。『六十年も経過して、こんなにいい状態なのは上質な生地の証だ』と。旗の布地にしても、それだけの長い年月だともっと変色しててもおかしくないのに、まだこんなに白さが残ってる。確かに痛んで破れたところもあるけど、これもそう悪くない布地だろう、と」
「なるほど。いわれてみれば、そうだ」
「それに旗を作ったのが、物資がそんなに充分じゃなかった戦時中だったことを考えると、この生地はかなり無理して調達したんじゃないか、ともおっしゃてました。秋に手紙でお送りした新聞記事の中で、『旗は上質な絹でできていて、当時は調達が難しかったはず。会社は無理をして用意したのでは』という私のコメントが載りましたけど、実はあれ、西条さんの弟さんの話をそのまましただけなんですよ。まるで私が判断したみたいに書いてありましたけどね……」
 彼は苦笑した。
posted by Yasuhiko Kambe at 14:52| 雪の街にて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月15日

『雪の街にて』 連載第四回

 その後、私たちは珈琲を飲みながら話をした。
「宮古へは、今でも時たま行くの?」
 私は彼に尋ねた。
「ええ、まあ。といっても、去年は正月と旧盆に行っただけですが」
 彼は珈琲をすすりながら、いった。
「でも、家はもうないんですよね。泊まるとこは、どうしてるんですか?」
「ホテルですよ。前の家の近くに数年前、ビジネスホテルができたんで、いつもそこに泊まってます」
「そうか。それもまた大変だね。第一、その度にカネも要るわけだし……」
「まあ、そうですね。でも、家がなくなるって、そういうことなのかなとも思います。それに、もう家がないからといって宮古へ行かないなんて、それじゃあんまり……」
「君のいいたいことは、わかるな。結局、言い訳にしか聞こえない。わかるよ……」
 彼は少し寂しげに微笑みながら、頷いた。私は話題を変えた。
「そういえば、秋に送ってもらった手紙の中に新聞記事のコピーがあったけど、ちょうど一年前になるんだね。あのニュースの時から」
「本当に早いもんです」
「あの時は何日くらい行ってたの?」
「元旦の朝に千葉を出て、三が日と次の四日まで宮古にいました。ちょうど行く前日の大晦日、全国的に大雪が降りましてね。東京でも五センチくらい積もったのかな、あの時。で、元旦に宮古に行ったら、びっくりです。雪は止んでましたけど、二十センチ以上積もってて」
「珍しいね、太平洋側なのに。そんなに積もったんですか」
「あんなに雪がある宮古を見たのは、私も初めてでした。三時半過ぎに駅に着いたんですが、日がもう傾き始めてて。道もあちこち凍りついてたし、これじゃ暗くなったら危なくて歩けないと思って、ちょっと急いでホテルへ向かいました。何とか日没前にホテルへ着いたんですが。自分が泊まる部屋に入ってから荷を解いて、この旗を風呂敷包みから取り出して、それで帰郷を果たしたってわけです」
「そうか……長かったね」
「盛岡からは山田線で来たんですが、前の晩の大雪で車窓はずっと銀世界でした。その景色を見ながらね、『ああ、やっぱり遠いな』と。いや、千葉から遠いってことじゃなくて、シドニーから何て遠いんだろうと思って。距離的にはもちろん遠いし、時間的にもね。六十年、ですから……」
 彼は傍らに置いた箱の中の、和紙の包みに目をやった。
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2006年01月14日

『雪の街にて』 連載第三回

 ウエイターが立ち去ると、彼は自分の右隣の席にあった風呂敷包みをテーブルの上に置いた。あの時と同じ紺地の風呂敷である。
「早速、見てください。今日はそのために来たわけですから」
 と彼はいって風呂敷包みを解き、中から同じ色の布地でできた箱を取り出した。
 箱の蓋を開けると、三十センチ四方の和紙の包みが入っていた。彼はその和紙の包みを取り出してテーブルに置き、合掌してから静かに包みを広げた。
 幾重にも折りたたまれた日章旗が、そこにあった。旗の真ん中に染め抜かれたのであろう鮮やかな赤い色が、私の目を奪った。彼は無言のまま丁寧に旗の折を開いていった。開き終えると、彼は破れかけた薄い絹の旗の左右をそっと両手でつかみ、左腕だけ伸ばすようにして旗を広げて見せた。
 真ん中の日の丸の周りに、色褪せた墨書きの文字が署名入りでいくつか記されていた。その文字の数々は彼が手紙に同封した新聞記事にあったように、激励の言葉だった。旗の右辺の方には「祈武運長久」という言葉と共に彼の大叔父の名が大きく染め抜かれ、その下に岩手無尽の社章と社名が同じように染め抜きで小さく入っていた。
「三田さんのお父様のは、これです。ちょうど日の丸の左下の」
 彼は自分の胸に旗をかけるようにすると右手を放し、「勇武」と書かれた寄せ書きと署名を指差した。その指先に、懐かしい父の筆跡があった。
「ああ、これ……。父の字だ」
 悪筆の私にはとても真似できない達筆な文字が、縦書きでしたためられていた。どことなく几帳面さを感じさせるその筆跡は、紛れもなく見慣れた父の字だった。私は溜息をつくと物もいわぬまま、しばらく父の直筆に見入っていた。
「……あの時、飛行機で乗り合わせた時に気づいてたら、その場で、いや空港ででもお見せできたのに、何であの時、話ついでにお見せしなかったんだろうって……。後の祭りですけど、メールをいただいた時、つくづく思いました」
 彼は旗を広げたまま、申し訳なさそうにいった。
「いや、いいんだ。気にしないでもいい。それに、今こうやって見せてもらえたんだから、これでいい……」
 私はいった。
 そこへ、注文した珈琲をウエイターが届けに来た。彼はテーブルの上に置いていた風呂敷と箱を、片手で脇の方へ寄せた。そうして空いた所へ珈琲が置かれると、安らぎに満ちた馥郁たる香りに辺りは包まれた。
「そうだ。今日はデジタルカメラを持ってきていてね。写真を撮るようにいわれて来てるんだ、姉と母に。先に写真を撮らせてもらっていいかな」
 私の申し出に、彼は即座に応じてくれた。
「旗を持ったまま、立ちましょうか。そうした方が、旗が全部写せると思います」
 彼は椅子から立ち上がり、両腕いっぱいに旗を広げて見せた。そうして写真を撮った後、父の寄せ書きの部分をクローズアップで写し、彼と私と旗を入れた写真も店のウエイターに頼んで撮影してもらった。
 撮り終えると私は改めて彼に礼をいった。彼は丁寧に旗を折りたたんで和紙に包み直し、再び箱に納めた。
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2006年01月13日

『雪の街にて』 連載第二回

 待ち合わせに指定した「アスピラシオン」はビルの建ち並ぶ中心街にあり、古風な石積みの外観は街のランドマークにもなっている。店へ着くと、既に戸上氏は来ていた。客は他に見当たらず、四人がけのテーブル席に彼はツイードのジャケットを着たまま、ぽつねんと座っていた。一昨秋ぶりの再会だ。
「やあ、しばらく。お待たせして済まない」
 私は先に声をかけた。
「あっ、どうも。ごぶさたしています。その節はどうも」
 彼は立ち上がって会釈した。
「いや、こちらこそ済まないね、わざわざお呼び立てして。この場所は、すぐにわかりましたか?」
 私はコートを脱ぎマフラーを外すと、彼の斜向かいの席にそれを置いてから座った。
「すぐわかりました。もし迷ったら困るなと思って、少し早めに来るようにしたんですが、わかりやすい場所だったんで、逆に早く着き過ぎました。やっぱり、冬の盛岡は寒いですね。宮古より内陸だから、当たり前かも知れませんが。ちょっと冷えたんで、先に珈琲をいただいてました」
「ここの珈琲、なかなか美味いでしょう。評判なんですよ。でも、本当に済みませんね。盛岡までご足労いただいて」
 彼は顔の前で手を横に振り、いった。
「いや、宮古からの帰りの途中ですから。どうしたって盛岡で新幹線に乗り換えないといけないわけですから、全然構いません」
「そういってもらえると、ありがたい。それにお元気そうで何よりだ。本当は実家の方に来てもらおうかとも思ったんだけど、正月は来客が多くて何かと落ち着かないんでね。それでここにしたんだ。それに実はこの店、昔は喫茶店じゃなくてね。何だったと思います?」
「さあ。何です?」
「以前は銀行の支店だったんだ、岩手無尽のね。私の父も戦後一時期、ここに勤めていたのを後で母から聞かされてね。まだ私が小さかった頃の話らしい」
「へえ、そうだったんですか。それで、この店に……」
 ウエイターが来て、グラスに入った水をテーブルに置いた。私は、彼と同じブレンド珈琲を注文した。
posted by Yasuhiko Kambe at 14:26| 雪の街にて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月12日

『雪の街にて』 連載第一回

 戸上氏へメールを送った次の年の正月、私は郷里の盛岡にいた。一昨秋の父の三十三回忌以来の帰省である。
 去年の秋から彼とメールをやりとりするうち、私は久しぶりに正月に帰省してみたくなった。シドニーで暮らすようになってからは次第に足が遠のいてしまい、最近は身内の法事でもない限り盛岡へは帰らなくなっていた。が昨秋、彼の大叔父の遺品である日章旗に亡き父の寄せ書きがあるのを彼の手紙で知り、自分の目で直接それを確かめたいという想いが募ってきた。前回の帰省からも一年以上が過ぎている。私は思いきって正月に帰省することにした。彼へもメールを送り、その折にどこかで旗を見せてくれるよう頼んだところ、彼は快くOKしてくれた。
 クリスマスを気のおけない友人たちや妻と過ごした後、私は年の瀬に日本へ帰国した。当然だが日本のように正月三が日の休みなどない法律事務所勤めの妻は今回同行せず、年末年始の休暇をほんの数日だけ延長するのを大学に認めてもらった私一人での帰郷となった。
 彼とは盛岡で会うことになった。ちょうど彼も正月に宮古へ行く予定があったため、その帰り、新幹線に乗り換えるために盛岡へ出た時、時間を割いて落ち合うことにした。本当なら姉夫婦と母が暮らしている私の実家に招き、家族全員の目で旗の寄せ書きを確認したいところだが、三が日は親類や父の代からの知り合いが新年の挨拶に訪れて宴となるため、落ち着いて話ができそうになかった。そこで私だけ家を抜け出して彼との待ち合わせ場所に出向き、家族を代表して旗を見ることになった。もちろん後で家族や親類の皆にも見られるよう、デジタルカメラを持参してである。
 待ち合わせは、中の橋に近い「アスピラシオン」というミニ画廊を併設した喫茶店にした。前日、宮古にいた彼へ携帯電話をかけて場所を伝え、私たちは午後二時半に落ち合うことにした。私の実家から「アスピラシオン」へは歩いても十分程度だ。その日、私は待ち合わせの十五分前に家を出た。
 積もったまま恐らく春先まで残るであろう根雪が、街のそこかしこにあった。冬の盛岡は雪の街だ。その日、空には所々に雲があるものの明るい日差しが降り注ぎ、時折どこからか風花が力なく舞い落ちてきた。相変わらず冷え込みの厳しい冬の昼下がりだった。
posted by Yasuhiko Kambe at 13:30| 雪の街にて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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